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天草の﨑津集落とは

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天草の﨑津集落とは・・・。

 「天草の﨑津集落」は熊本県天草市河浦町に位置し、禁教期において仏教、神道、キリスト教が共存し、漁村特有の信仰形態を育んだ集落です。

 

キリスト教布教の時代

 﨑津は1569 年、イエズス会修道士アルメイダによって布教が開始され、ほとんどの村人がキリスト教徒となりました。集落内には教会堂や宣教師のレジデンシア(住居)が作られ、教会を支援する信仰組織として3つの小組からなるコンフラリア(信仰組織)が形成されています。

 

 その後、天草はキリシタン大名である小西行長が支配し、1591年から1597年の間、宣教師を養成するコレジヨが﨑津の隣村に設置されました。ここには天正遣欧少年使節団の4人も入校しています。彼らが持ち帰ったグーテンベルグ印刷機により、日本発のローマ字活版印刷が行われました。

 ルイス・フロイスの「日本史」によれば、﨑津集落は「さしのつ」と呼ばれ、信仰拠点として重要視されていたことが記されており、それを裏付けるように布教期のメダイやロザリオが伝来しています。 

 
アルメイダ修道士

メダイ

 

グーテンベルグ印刷機
アルメイダ修道士さまざまな信心具グーテンベルグ印刷機

 
 

弾圧・潜伏の時代

 1614年、江戸幕府は禁教令を発布し、信徒への迫害が強まるなかでも、﨑津集落には多くの潜伏キリシタンが信仰を続けました。

イエズス会の作成した「コウロス徴収文書」のなかには、﨑津の信仰組織の代表者3名の名前と霊名が記載されています。また宣教師がひそかに来訪し、「こんひさん(告解)」や「貴(とおと)きさからめんと(聖体の秘蹟)」を授けていたことがわかっています。

禁教令により宣教師は追放され、1637年、厳しい弾圧、幕府の苛政や飢饉を契機として島原・天草一揆が勃発しました。一揆後、幕府の宗教政策により、村人は表向きは寺院や神社に帰属しました。村人は毎年、庄屋役宅で行われる「絵踏」においてキリストや聖母マリアの像を踏まされました。

 

また宣教師不在のなかでも、集落にはコンフラリアの端末組織である「小組」が存続しており、「水方」と呼ばれる信仰指導者が洗礼を授け、葬送儀礼や日繰りをもとに祭礼を行っていました。集落には水方を勤めた家屋が現存し、潜伏時代の信心具が保管されています。

 

一揆
絵踏み
島原・天草一揆絵踏みのようす

 

 

 

 

禁教期の特徴的な信仰

 﨑津では漁村であり、漁業を生業としています。これは、禁教時代も同様です。

当時﨑津の潜伏キリシタンで漁業を生業としていた人たちは、デウスを豊漁の神として崇拝しました。また、アワビやタイラギの貝殻内側の模様を、聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村特有の信仰形態が形成されました。このほか貝殻を用いて信心具を作るなど、他地域には見られない独特の漁村信仰が育まれています。

 

 

あわび柱のメダイ
あわびの貝殻内側の模様柱に隠したメダイ

 
 

潜伏キリシタンの発覚~天草崩れ~

 﨑津では、キリシタンと発覚しないよう、表向きは仏教徒や神道信者となることで宗教を偽装して生活していました。そのため、仏教行事である盆には、仏壇や祭壇に魚肉を供え、おらしょを唱えていました。さらに村人が寺院や神社に参詣するときは「あんめんりゆす=アーメンデウス」と唱え、宗教間の共存が図られていたことも判明しています。

 

1804年、ついに﨑津や近隣の3村で潜伏キリシタンが発覚します。﨑津で牛を殺し、その肉を仏壇に供えているという風習や仏像と異なる像を信仰していることが露見したためです。翌1805年、高浜でも発覚し5205人が検挙されました。﨑津では村人2401名のうち1709名(71%)が潜伏キリシタンとして検挙され、自白調書により管理されるようになりました。この事件を天草崩れといいます。

 

検挙されたキリシタンは、自らの信心具を﨑津諏訪神社の境内に設置した箱に投げ捨てるように指示しました。これに従った者たちは、「心得違い」として無罪放免となりました。 

 

 

キリスト教解禁の時代~カトリックへの復活

 1873年キリスト教解禁後にカトリックに復帰した潜伏キリシタンは、最初に﨑津諏訪神社の下に木造教会を建てました。その後、禁教期に絵踏みが行われた﨑津吉田庄屋役宅跡に、現在の﨑津教会が1934年に建てられました。これはキリシタン弾圧を象徴する場所に教会を建てたいというハルブ神父の強い願いによるものです。

教会は鉄川与助の設計・施工で神父の私財や信者の寄付金、信者の労働奉仕により完成しました。教会内部は建設当初から畳が敷かれており全国的にも珍しい事例です。この教会は﨑津集落で200年以上にわたり潜伏したのちに、復活の象徴として集落のシンボルとなっています。

 

 

「天草の﨑津集落」が誇る、世界遺産としての重要な価値

﨑津集落は絵踏みという日本独特の宗教弾圧が実施された庄屋役宅跡や、豊富な文書や集落にのこる物証により証明される禁教期の潜伏キリシタンの信仰形態、デウスを豊漁の神として崇拝し、アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立て崇敬し、白蝶貝を用いたメダイを作成するなど、漁村特有の信仰が育まれるとともに仏教、神道、キリスト教が共存する集落として重要な資産価値を有しています。

 

﨑津集落遠景
﨑津集落全景


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