
11月29日、牛深総合センターで「宇良田唯女史シンポジウムin牛深」が開催されました。
これは、宇良田唯女史顕彰会が主催した天草市男女共同参画市民企画講座で、日本人女性で初となるドイツの医学博士号「ドクトルメディツィーネ」を取した牛深町出身の医師・宇良田唯(1873~1936)と、その父(宇良田玄彰)、また恩師の北里柴三郎(1853~1931)の生き方を通して、親子の絆の尊さや時代と国境を越えて通じる生き方を学び、多くの人に地元の偉人に対する興味・関心を深めることを目的としています。
会場には、多くの小中学生も参加しており、およそ500人を超える人が足を運びました。
今回、同顕彰会会長の山口誠治さんがコーディネーターを務め、北里柴三郎のひ孫に当る北里英郎さん(北里柴三郎記念館館長)をお招きし、同顕彰会名誉会長の吉川茂文さん、同顕彰会副会長の片白健次さんの3人をパネリストとして、2部構成のパネルディスカッションが行われました。

参加者のようす

会長 山口誠治さん

北里英郎さん(北里柴三郎記念館館長)

名誉会長 吉川茂文さん(写真右)副会長 片白健次さん(写真左)

ディスカッションのようす

意見を発表する中学生
主に、医学の道を志した二人の生涯や国際社会に貢献した功績などについて、パネリスト同士のディスカッションが行われる中、小中学生へ「地球温暖化を防ぐには?」との議題が出され、児童らは「出すごみの量を減らすようにしています」や「再生可能エネルギーを使用する」など自身が取り組んでいる対策や考えについて積極的に意見を述べていました。
また、同顕彰会が宇良田唯の生涯を綴った「宇良田唯の歌」を参加した小中学生が披露。子どもたちのリズミカルで元気いっぱいな歌声が会場全体に響き渡りました。
山口誠治会長は、「昔の天草で活躍された素晴らしい人たちの偉業を後世に伝えていくことが我々の役割であり、たくさんの方々の協力のおかげで今回のシンポジウムを開催ことができた。今後も地域のいろいろな人たちを取り上げて、天草に眠っているダイヤモンドの原石(偉人)を輝かせていきたい」と感謝の意と今後の想いを語りました。

児童たちによる合唱

宇良田唯先生の生涯についての説明
宇良田 唯(うらた ただ)

牛深町では昔から眼病が多く、小さい頃から病気で苦しむ人たちを助けたいという思いから、当時は珍しく女性の医者になる道を志します。
元は、眼病治療のため研究にドイツのマールブルク大学へ進学しましたが、結果として周りの人たちの勧めで医学を総合的に学び、ドイツの医学博士号・ドクトルメディツィーネを日本人女性として初めて取得しました。帰国後、北島柴三郎の仲立ちで中村常三郎さんと結婚し、その後25年に渡り中国天津で医療活動を行いました。(配布パンフレットより引用)
北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう)

日本近代医学の父と言われた偉人です。明治・大正・昭和初期を、日本の遅れていた医学を発展させ、「日本人の健康を守る」という信念で駆け抜けました。
座右の銘は「終始一貫」。福沢諭吉先生の援助により作られた伝染病研究所は、最終的に「北里研究所」へと発展し、「パスツール研究所」や「コッホ研究所」と並ぶ世界三大研究所と謳われました(配布パンフレットより引用)。