宝暦12(1762)年、高浜村庄屋である上田家第6代伝五右衛門(でんごえもん)が、肥前長与(ひぜんながよ)の陶工(とうこう)である山道喜右衛門(やまみちきえもん)を招いて高浜村山中に開窯したのが高浜焼です。高浜村東方の山中から産出される良質の陶石(天草陶石)を用いた磁器を生産し、6代目および7代目源太夫宜珍(げんだゆうよしうず)にかけて最盛期を迎えました。伝五右衛門時代の安永7(1778)年には、国内唯一の海外貿易港であった長崎の出島において出張所の出店を許され、製品を中国やオランダなどへ輸出したと考えられています。その後は盛衰と一時中断を繰り返し、明治32(1899)年に閉鎖、廃窯となりました。
現存する窯は、高浜焼最終期の窯であり、連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)で本来7室あった焼成室のうち、4室のみが残存し、県指定史跡となっています。全長26.4mで、現存する焼き物の窯跡としては県下最大規模を誇ります。
■指定区分:県指定
■指定種別:史跡
■指定日:昭和50年3月24日
■地域:天草
■所在地:天草町高浜南