妻の鼻墳墓群(つまのはなふんぼぐん)は、元々亀川の河口付近の妻の鼻(現在の瀬戸大橋下島側ループ橋付近)にあり、昭和32年に発見されました。鹿児島県や宮崎県など南九州に特徴的な地下式板石積石室墓(ちかしきいたいしづみせきしつぼ)という形態を持つ古墳で、6世紀ごろのものです。
昭和42年7月に宅地造成のため発掘調査が行われました。調査では、1基の石室内に5~12人が合葬(がっそう)された家族墓で、遺体はいずれも海に面した東側に頭を向けてあったと記録されています。また、石室内からは、鏡・鉄剣・鉄鉾(ほこ)・鉄釧(うでかざり)・勾玉(まがたま)などの副葬品が多数発見されましたが、その特徴は実用性を重視したものだと言われています。
記録保存後、貴重な文化財を再建したいという思いが強まり、昭和49年には佐伊津町の丘陵上(茂木根海水浴場北)に移築、復元されました。
移築にあたり、各古墳の距離・間隔(かんかく)・方位はほぼ原位置通りとなっていますが、一部の石室は設置場所の関係で傾斜地(けいしゃち)に復元されることとなりました。
貴重な文化財であるため、移築復元後に移転された遺構(いこう)と出土遺物が「考古資料」として県指定を受けています。
現在、出土遺物については、本渡歴史民俗資料館で展示されています。
■指定区分:県指定
■指定種別:考古資料
■指定日:昭和48年8月27日