豊臣時代から徳川時代にかけて、キリシタンに対する弾圧はしだいに厳しくなり、信徒は「潜伏キリシタン」となって密かに信仰を続けざるを得なくなりました。その間、河浦町﨑津は天草町大江と並んで、郡内キリシタンの中心地となりました。
その後、昭和40年ごろに行われた﨑津の小高浜の海岸工事の時、松の木の根元、地下2mのところに埋もれていたのがこの壺です。壺は17世紀ごろの中国華南産白磁で、「アンピン壺」と言われるものです。その中には鹿の角で作ったと思われる首飾りが入っており、その下にはクルス(十字架)とマリア像が付いていました。潜伏キリシタンの信仰に用いられたものと思われる貴重な資料です。
■指定区分:市指定
■指定種別:歴史資料
■指定日:昭和52年10月1日
■地域:本渡
■所在地:船之尾町19ー52 天草市立天草キリシタン館