大正9(1920)年に起きた「尼港事変」で亡くなった人々の慰霊碑です。遺族の方々が国からの
見舞金の一部を出し合い、4,750円(現在の2,375万円相当)という多くの費用を投じて昭和12年8月15日に建立しました。
尼港事変とは、ロシアのニコライエフスク(尼港)で起きた事件のことで、シベリア出兵の時、日本軍は尼港を占領していました。その後、この地をロシアのトリャピーツィン率いるパルチザン部隊(非正規軍事組織)が包囲し、一時は休戦協定を結ぶも、日本軍がこれを破り反撃を起こしました。
日本軍は敗れ、生き残った日本人は軍人・民間人の区別無く捕虜となりました。その後、日本からの援軍を聞きつけたパルチザン部隊は捕虜全員を虐殺し、村に火をつけて逃走したと言われています。
この時犠牲になった民間人約300人のうち、110人が天草出身、さらに3分の2が五和町の出身でした。慰霊碑は五和町手野の東明寺の境内にあり、毎年3月12日には慰霊祭が行われています。
■指定区分:市指定
■指定種別:建造物
■指定日:平成17年8月1日
■地域:五和
■所在地:五和町手野1丁目 東明寺隣接地
※夜間のご観覧はご遠慮ください。