中世の天草は、上津浦氏・栖本氏・大矢野氏・天草氏・志岐氏などの国人(豪族)が分割して統治し、天草島内で領土争いを繰り返していました。その中でも棚底城は、天草で最も高い倉岳(標高682m)の麓に築かれた戦国時代の城郭で、上津浦氏と栖本氏の抗争地として史料に記録が残っています。
城跡は東西340mにわたって8つの曲輪(くるわ)が連続する連郭式の構造で、西側の標高90mの(1)郭を主郭とし、東側へ尾根伝いに(8)郭まで続きます。(1)郭北側から東側には、厳重な3重の横堀が設けられるなど、単郭構造の中世城館が多い天草にあって、棚底城は複雑な縄張りを誇っています。これには、肥後南部に勢力をもっていた相良氏の技術供与があったからと考えられています。
また、発掘調査により、それぞれの曲輪において岩盤を掘り込む柱穴が多数見つかり、(1)郭では大型建物跡や5列の小柱穴列遺構を検出しました。遺物としては貿易陶磁器類の出土量が県内でも抜群に豊富であり、ベトナム産青花碗など貴重なものも出土しています。中国産天目碗や石製風炉、茶臼といった茶の湯道具や碁石のような嗜好品は、棚底城において豊かな生活が行われていたことを示しています。
中世の記録が少ない天草において、棚底城跡は天草地域の政治・軍事の変遷のみならず、他地域との交易の様相を知る上でも大変貴重な城跡です。
城跡の構造、調査成果などについては、
史跡棚底城跡保存管理計画書(外部リンク)をダウンロードしてご活用ください。
棚底城跡の概要や縄張り図などを掲載したパンフレットを作成しています。以下のリンクからご覧ください。
詳細な年表は以下のリンクからご覧ください。
■指定区分:国指定
■指定種別:史跡
■指定日:平成21年7月23日
■地域:倉岳
■所在地:倉岳町棚底字尾崎
Tanasoko Castle Ruins (National Historical Site)
Tanasoko Castlewas used for approximately 200 years from around 1400. Local clans, Kotsuurafamilies and Sumoto families had battled for the Tanasoko area at the time, sovarious defensive features for protecting against enemies still remain. Also,fragments of pottery originating from Thailand, Vietnam and China were found inthe ruins. Tanasoko Castle ruinsare recognized as an important property relating to politics andmilitary affairs in the history of the Amakusa area.
타나소코 성터는 1400년경부터 약 200년간 사용된 성터입니다. 코우츠우라와 스모토가 타나소코 지역을 차지하기 위해 경쟁하던 시기의 성으로, 적을
막기 위한 각고의 연구 흔적이 지금도 남아 있습니다. 태국과 베트남, 중국산 도자기가 많이 출토되어 아마쿠사 지역의 정치 및 군사 변천사를 알 수 있는 귀중한 유적으로 평가받고 있습니다.
国家指定历史遗址 棚底城遗址
棚底城遗址是距今约1400年前,被使用约200年的城堡遗址。此城是上津浦氏与栖本氏争夺棚底地区时期的城堡。在城内各处至今还遗留着当时为防御敌人入侵所做的复杂的防御措施。此处还出土了大量的泰国、越南以及中国的陶瓷器,由此可知天草地区政治和军事的变迁过程,因而被视为非常有价值的考古遗址。
國家指定歷史遺址 棚底城遺址
棚底城遺址是距離現在1400年前左右大約被使用了200年的城堡遺址。此城是上津浦氏與栖本氏爭奪棚底地域時期的城,為了防禦敵人的入侵,在城內各處費了一番工夫所做的防禦措施到現在都還遺留著。由於在此挖掘出大量的泰國和越南以及中國的陶磁器,藉此得以知道天草地區的政治以及軍事上的變遷過程,因而此處被視為有價值的考古遺址。