久玉城跡は、天草下島の南端に築城された城郭です。権現山の南山裾の尾根の末端にある、古くから「城山」と呼ばれる海抜47mの丘陵に築かれており、久玉浦を一望できる位置にあります。
丘陵北側の堀切を北端とすると、主軸の長さは235mで、幅は150mにもなります。
最高所にある曲輪の北側には堀切と土塁が設けられ、中世城的特徴をもつ一方で、南を正面とする曲輪のみ近世石垣で囲われています。それらの石垣は長さ45m、高さ5mにもおよぶ大規模なものとなっています。また、北側には内枡形虎口(防御された出入口)があり、城跡麓の「大手口」には屋敷に伴う石垣、礎石、石組排水溝が残っています。
築城の年代や城主については未だ明らかになっていませんが、天草氏の一族である久玉氏の居城であったと伝えられています。しかし、永禄12(1569)年ごろに、天草五人衆の天草氏の内輪揉めによる合戦が起きているため、そのころには天草氏の所有になっていたのではないかとされています。
その後、天草が慶長6(1601)年に唐津藩主寺澤廣高の飛び地領となった時に、再利用されました。
中世城郭と近世城郭の遺構が見られる非常に貴重な史跡です。
■指定区分:県指定
■指定種別:史跡
■指定日:昭和48年3月28日
■地域:牛深
■見学:久玉町本郷