大宮地五輪塔は、その大きさや形状から南北朝から室町時代のものと推測されます。特に大きなものは高さが140cmほどあり、天草でも最古の部類に入ると言われています。
古来、五輪塔は供養塔としてよく用いられてきましたが、これらは付近一帯を支配していた宮地氏のものと考えられます。中世天草では、天草五人衆と呼ばれる国人が争いを繰り返しており、宮地氏はその五人衆の中の天草氏の一族で、現在の新和町大宮地、小宮地、宮地浦を中心に支配していたと考えられます。また一時は、五人衆の志岐氏と領地争いをしたことでも知られています。
天草諸島は、戦国時代末期に全島にキリスト教が浸透したことがあるため、それ以前の供養塔などの石造物は、完全なものが非常に少なくなっています。そのような中で、この大宮地の五輪塔群は形状をとどめた良好な塔が複数存在しており、非常に貴重な文化財と言えます。
■指定区分:市指定
■指定種別:建造物
■指定日:昭和50年2月18日