三宅藤兵衛の墓 最終更新日:2020年6月18日 印刷 三宅藤兵衛は、寺沢藩の富岡城第7代の番代で、明智光秀の孫にあたると言われています。 寛永14(1637)年の秋、島原・天草一揆が起こると自軍を率いて本戸(本渡)に出陣、本戸の決戦において敗れ、自害して果てました。 ■指定区分:市指定■指定種別:史跡■指定日:昭和33年5月1日■地域:本渡■所在地:本渡町広瀬上ノ山