江戸時代に貿易などで財を成した石本家の屋敷で、広さは約1,200坪(約3,900平方メートル)あります。農民の身分でありながらも、敷地の周りには凝灰岩である御領石を加工した塀が築き上げられ、今も残る遺構からは石本家の盛栄がうかがえます。
石本家が全盛期を迎えたのは5代石本平兵衛のころで、幕府および諸藩(薩摩など)への大名貸しや、幕府勘定所御用達も務めました。この時の石本家の経営は貿易や金融のほか、問屋、酒造経営など多くの分野に関わり、まさに豪商として絶頂期を迎えたと言えます。
しかし、天保13(1842)年の高島秋帆事件に巻き込まれて入牢、平兵衛は獄中で病死し、その後石本家は衰退していきました。敷地内には、当時の石本家のようすが説明された碑が建てられています。
■指定区分:市指定
■指定種別:建造物
■指定日:昭和56年6月2日