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本渡

  • 四郎乱物語の画像
    2024年2月5日更新
     島原・天草一揆に関する軍記物。天草で書かれた貴重な資料です。翻刻本も発行されています。
  • 山口の施無畏橋の画像
    2024年2月5日更新
     平成18年(2006)に楠浦の眼鏡橋と共に県の指定を受けた石造眼鏡橋。明治15年(1882)に建造されました。
  • 楠浦の眼鏡橋の画像
    2024年2月5日更新
     明治11年(1878)に竣工した下浦石製の石橋です。石造眼鏡橋としては天草で最も古いものです。

  • 衹園橋の画像
    2024年2月5日更新
     天保3年(1842)建造の石造桁橋。町山口の祇園神社の前に架かる下浦石造りの石橋で角柱5列9行の45脚によって支えられています。現代では…
  • 大矢遺跡出土遺物の画像
    2024年2月5日更新
     天草を代表する縄文時代遺跡である大矢遺跡より出土した石製銛頭(もりがしら)や結合釣針の軸部などの遺物55点。注目を浴びた九州最古の土偶も…
  • 立浦の板碑の画像
    2024年2月5日更新
     楠浦町立浦に所在する中世の板碑。建立年は天文8年(1539)であり、キリスト教伝来以前の天草での仏教信仰を物語る貴重な石造物です。
  • 志安橋の画像
    2024年2月5日更新
     志安橋は亀場から枦宇土への往還道で、亀川の支流「宇土川」に架かる石橋です。形式は、太鼓型の眼鏡橋で、長さ8.8m、径間7.1m、幅3m。…
  • 志柿大松道古墳の画像
    2024年2月5日更新
     東西に羨門を構えた横穴石室の円墳で玄室は長さ2.2m 幅2.2m、天井高2.5mです。古墳時代後期(約1,400年前)のものと推定されま…
  • 茂木根の横穴古墳の画像
    2024年2月5日更新
     茂木根釜の北方江古平の山中に4基の横穴古墳があります。2基が隣り合って、更に2基が下段の桧林に近いところにあります。いずれも羨門は長方形…
  • あぶみ(一対)の画像
    2024年2月5日更新
    「四郎乱物語」に瀬戸で寺沢勢と一揆軍が死闘を尽くし数人の武将が討死したと記録しています。その時の武将のつけた鐙で300年を経て、昭和34…
  • 鷹羽紋螺鈿鞍の画像
    2024年2月5日更新
     「麟泉鞍」とも呼ばれ、16世紀に天草五人衆に数えられた志岐麟泉が使用したと伝えられています。天草市立天草キリシタン館において展示中。
  • 徒党禁止高札の画像
    2024年2月5日更新
     明和7年(1770)4月に発布された徒党禁止の高札で、農民が徒党に参加しないことなどを申し渡した歴史資料。
  • ロザリオと壺の画像
    2024年2月5日更新
     潜伏キリシタンが信仰に用いたと考えられるロザリオ。河浦町﨑津小高浜の海岸工事に際し発見されました。中国産白磁の壺の中に、ロザリオが納めら…
  • 鈴木明神伝碑の画像
    2020年6月18日更新
    天草・島原の乱後天草は天領となり、代代官鈴木重成公は荒廃した天草の復興に全力をあげました。この碑は文化8年(1811)建立、撰文は魚沼国…
  • 高札の画像
    2020年6月18日更新
    正徳5年(1716)同文の回状が各庄屋に廻され、それによって天草に26本の高札が立てられました。その中の1本と言われています。切支丹禁制…
  • 木山家古文書の画像
    2020年6月18日更新
     代々本戸組の大庄屋をつとめた木山家に現存する古文書。古文書は書冊約3,000冊、一般文書約2,000枚、書簡約1,000通におよび本度地…
  • 下浦船場天満宮の大楠の画像
    2020年6月18日更新
     船場天満宮の境内にあり、推定樹齢500年余りといわれる大楠。昭和57年には県の「ふるさと熊本の樹木」に指定されています。
  • 諏訪神社の大蘇鉄の画像
    2020年6月18日更新
     この蘇鉄は大正4年(1915)浜宮より諏訪神社遷宮を記念して、奉納されたものです。樹齢200余年を越え社殿に向かって右 樹高6.1m 根…
  • 遊行僧像の画像
    2020年6月18日更新
     遊行僧をかたどった金銅製立像で高さ13.5cm、台座の高さ3cm、僧衣を着、右手に金剛杖をつき左手に数珠をかけ優美な姿で佇んでいます。こ…
  • 江川地の延命地蔵尊の画像
    2020年6月18日更新
     鎌倉時代の源信(恵心層都)の作といわれています。源信は2体の延命地蔵を残したと伝えられ、その一体が島原にあったものが何時の間にか消え失せ…
  • 金浜城石垣の画像
    2020年6月18日更新
     この地には、鎌倉時代志岐氏の一族三郎安弘が居住した金浜城がありました。南崖の隅田川口に面する所に当時の石垣が幅約15m、高さ3mほど残っ…
  • 東向寺歴代住職の墓の画像
    2020年6月18日更新
     東向寺は天草島原の乱後、初代代官鈴木重成の命により建立された天草四ヶ本寺の1つです。開山は、国宝の五重塔で著名な山口県瑠璃光寺の住職であ…
  • 下浦須森古墳の画像
    2020年6月18日更新
     西方に羨門を構えた横穴式石室の円墳で玄室は長さ2.1m、幅1.4m、天井高2.2mです。壁石には丹を塗ってあり、古墳時代後期のもので、完…
  • 船之尾尾越の板碑の画像
    2020年6月18日更新
     享禄3年(1530)、本砥奪回を目指した天草氏がこれを阻む志岐氏と町山口川を挟んで一戦を交え、遂に志岐氏を破り、本砥を回復して本戸城を築…
  • 三宅藤兵衛の墓の画像
    2020年6月18日更新
     三宅藤兵衛は寺沢藩の富岡城第7代の番代で、明智光秀の孫にあたります。
     寛永14(1637)年の秋、切支丹の乱が起こると手勢を率いて本…
  • 楠浦新田古墳の画像
    2020年6月18日更新
     羨門を東に向けた円墳で丸天井の横穴石室をもち、ほぼ完全な形を保っています。玄室入り2.6m、奥巾2.2m、天井高2.3mあり、古墳時代後…
  • 綸子地著色聖体秘蹟図指物の画像
    2018年7月5日更新
    通称「天草四郎陣中旗」。寛永14年(1637)に発生した天草島原の乱においてキリシタン宗徒勢のシンボルとなった軍旗。
  • 木山弾正の墓の画像
    2018年7月2日更新
     木山弾正は、もと肥後益城の赤井城主でしたが、没落後、天草伊豆守種元とは外戚の故に天正13(1585)年、種元を頼って本戸城に客将として身…
  • 下浦丸田薬師堂の梵字板碑の画像
    2018年7月2日更新
     梵字板碑は、底辺60cm、上辺50cm、高さ70cm、厚さ15cmほどの梯形型の供養碑です。 
  • 伊賀倉権現古塔群の画像
    2018年7月2日更新
     散在していた古塔片を組み立てて権現祠を中心にして安置したものです。五輪塔43基、宝筐塔6基があり、鎌倉時代のものと思える古塔が一ヶ所に5…
  • 本渡南の梵字板碑と礎石の画像
    2018年7月2日更新
     もともと沖の浜新地の溝の中にあったもので、直径50cm、厚さ12cmの丸型で中央に5字、周囲に25字の梵字が刻んであります。卒塔婆の変形…
  • メダリオンの画像
    2018年7月2日更新
     江戸時代初期に鋳造されたメダリオン。河浦町﨑津のキリシタン信者が所有していたものです。 天草市立天草キリシタン館で見る事ができます。
  • 木造十一面観音立像の画像
    2018年7月2日更新
     本尊像は球磨郡多良木町福田寺観音堂から出たものである。光背の一部が欠けているが瓔珞も台座もすべてそのままである。秘伝として永く保護された…
  • 市の瀬橋と石碑の画像
    2018年7月2日更新
     この石橋は、太鼓型のめがね橋で、橋長は22.2m、橋幅4.6mあります。通称「市ノ瀬のめがね橋」と呼んでいます。明治15年4月、最初の橋…
  • 下浦石工元祖松室五郎左衛門の墓の画像
    2018年7月2日更新
     旧下浦村石工の元祖、松室五郎左衛門は、元肥前国白石藩士でわけあって浪人し、宝暦10(1760)年頃天草に来て、下浦村石場に移り住み石工と…
  • 染岳の霊場の画像
    2018年7月2日更新
     天慶4(941)年、弘法大師の法孫妙覚法印の開基という、中世天草における真言宗の中心寺として栄えました。
    天正17(1589)年、天正…

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